「おおかみこどもの雨と雪」は2012年7月21日に公開されました。監督の細田守さんにより脚本が書かれたので、原作はありません。ノベライズのほか、優さんによる漫画版と美水かがみさんによる4コマ漫画があります。

小説では3人の視点で描かれていますが、映画では、語り手は長女である雪です。自分が生まれる前のストーリーはお母さんである花から聞いたということになっています。女子大生だった花は奨学金を受け一人で大学に通っています。映画ではなぜ一人で頑張っているのかは描かれていませんが、小説ではもともと父子家庭で育ち、受験の年に父親は亡くなったことなどが書かれています。

また、おおかみおとこである「彼(苗字は伊賀のようだが名前は判別不明。小説にも出てこない)」がおおかみの姿で亡くなっているシーンでは、映画ではいつなのかはぼやかされた状態ですが、小説では「雨が生まれた次の日」ということになっています。映画のシーンでも雨が降り続いていたので、そのことで暗示していたのかもしれません。出産直後で赤ちゃんである雨くんと雪ちゃんを連れて探すのはかなり大変なのが気になってしまうので、はっきりとさせなかったのではないかと考察されます。

元気いっぱいの雪と虚弱な雨を一人で育てる花の姿は、か弱い外見とは全く違う「強い母」をイメージさせます。雪と雨がおおかみに変身してしまうため、外に出るのもままならず保健所の職員には虐待を疑われる花ですが、何がどうあっても「彼」との子どもを自分が育てるのだ、という母の気概を感じさせます。おおかみおとこの死から、ストーリーはそれまでの「幸せな家族の姿」から「シングルマザーの孤独な闘い」へと一気に転換するのです。

都会での子育ては、おおかみこどもではない、普通の子どもであっても大変です。おおかみこどもだから困ったり苦情を言われたりするように描かれていましたが、実際には「子どもの声がうるさい」「ほかの子と違うんじゃないか」「検診に来ない悪い母親」と些細なことがきっかけで追い詰められる場面が現実のものとしてあります。細田監督は「子育てを通して内面が成長する女性像」をヒロインとして描こうとした、と述べています。

また中盤で、山間の人々と交流していく中で花が「一人で育てるためにここに来たけれど、いろんな人に助けられてる」という言葉には、細田監督の「子育て」への思いが込められています。細田監督はインタビューの中で「子どもが育っていく、子どもを産み育てるということは世間的には当たり前のように思われているけれど、当人たちにとっては当たり前のことではなくて大変なこと。そこでおおかみこどもを育てる、という誰もしていない経験をヒロインがすることによって観客にも子育ての当たり前ではない部分を共有したかった」という趣旨のことを言っています。

物語の中心は母親である花の成長物語ですが、子どもたちの雪と雨も独立してそれぞれのストーリーが描かれています。はじめは一つだった家族が、死によって、あるいは独立によって一人、また一人と別の道を歩んでいく、日本映画の家族像は「最後は一つになって終わり」というものが多い中、離れていったとしてもそこにある家族愛を描き切ったストーリーは、それまでにない新しい試みだったといえるでしょう。

おおかみとして生きることを選んだ雨と、人間として生きることをえらんだ雪のその後はいったいどうなったのでしょうか。実は小説にもその部分は描かれていません。雪はおそらく地域の子どもたちと一緒に寮のある中学校へ入学し、部活動や生徒会活動に余念がない様子です。小学生の時に嵐の一夜を共に過ごした草平くんとどうなったのか気になるところですが、彼についても全く描かれていません。おおかみとして生きる雨と同じようにひとり立ちしようとしていくでしょうが、まだ中学生の間は人間の場合は難しいのかもしれません。

雪と同じように寮のある中学校に入った可能性はありますが、映画にも小説にもその様子は記されていません。一方雨は「先生」だったアカキツネのあとを継ぎ、山を守り続けています。花は時々、山からこだまする雨の遠吠えを聞きながら、今もどこかで生きている雨に思いをはせる場面で終わります。花の家があるあたりは、けものによる農作物の被害が深刻化している場所でした。子どもたちが小さいうちはおしっこ、つまり肉食獣のマーキングにより被害が出なくなっていたのですが、花が一人で家に住みながらも畑を維持している様子を見ると、雨の影響が花の畑を守っている、といえるのかもしれません。

おおかみこどもの雨と雪の小説版は角川文庫から出版されています。また、角川つばさ文庫からは小学生向けのものも出ているので、映画と合わせて読んでみても面白いでしょう。読みやすくなっているので、本を読むのが苦手なお子さんは映画を見た後で読んでみると、最後まで読み通すことができるかもしれません。