「アポカリプト」とは2006年に上映された映画です。「アポカリプト」とは、ギリシャ語で「物事をあらわにする」という意味の動詞の言葉なのですが、果たしてどのような物事をあらわにするのでしょうか。この映画はマヤ文明後期の頃を描いています。マヤ文明の歴史上に起こったなにかしらの物事をあらわにした映画なのでしょうか。この映画の意外なラストを見ればタイトルの謎が解けるかもしれません。

しかし、それを知るためには、映画のあらすじを知る必要があります。舞台は中央アメリカにあるジャングルです。そこにはとある部族の部落がありました。そこに主人公の青年がいたのです。青年は部落の長の息子で、身重の妻と子供がいました。狩猟民族の血を引く青年は、妻と子、部落の長である父、そして仲間達と共にジャングルで狩りをしながら毎日楽しく平和に暮らしていました。ある日、いつものようにジャングルで狩りをしていると、村を追われてきたという部族の人々と遭遇しました。

それから青年は一抹の不安を感じるようになったのですが、それが的中してしまう日がやってきてしまったのです。マヤ帝国の兵士達が部落を襲いにやってきたのです。いち早くそれに気がついたことで青年は妻と子を部落内にあった枯れ井戸の中に隠すことができたのですが、その争いの中で、青年の父親である部落の長が殺されてしまうのです。

残った部落民はそのままマヤ帝国に連れていかれてしまいます。なんのためにそのようなことになってしまったのかということですが、マヤ帝国ではピラミッドを建造するための労働者となる奴隷と、神に捧げるための生贄をあちこちの部落から集めていたのです。集められた人々は地獄のような生活を強いられることになります。

女性は競売にかけられ、男性は建造のために働かされるのですが、働けなくなるとゴミのように捨てられてしまうのです。その中で選ばれてしまった人は、ピラミッドの上に連れていかれ、生贄と称されて無残に殺されてしまうのです。次々に周囲の人々が殺されていくことに、とうとう青年は生き残るために逃げることを決意します。それは簡単なことではないのですが、一緒に捕まっていた青年の親友が死に際に手を貸してくれ、青年は場外に逃げ出すことに成功します。しかし、そこからがまた青年にとっての地獄でした。

マヤ帝国の兵士達は捕虜が逃げ出すことを許すまいと執拗に追いかけます。青年は部落に帰りたい一心で必死に逃げ惑います。逃げきれずに、そして仲間達を殺されてきたことから反撃することを考え、場面は突如、逃走劇から復讐劇へと変化します。青年は、自分が生きてきた部落の中での知恵を駆使して、兵士を1人ずつ殺していくのです。とはいっても、全員をやっつけるには敵が多すぎました。青年は追い詰められ、完全に逃げ場を失ってしまうのです。そこで青年を助けたのは、誰も想像もできない意外な出来事でした。追い詰めていよいよ青年を捕まえようとした兵士達の目に映ったのはスペイン人の大船団でした。当時のスペインは都会といわれていたマヤ帝国よりも更に先に行く技術を持っていました。マヤ帝国の兵士達にとっては、恐るべき存在以外の何者でもありませんでした。

そのような国がいきなり大船団として現れたのです。争うことになればマヤ帝国は一巻の終わりです。いきなりの大きな出来事でマヤ帝国の兵士達は呆然と立ち尽くすしかありませんでした。この出来事が絶好のチャンスとなり、青年は逃げ切ることができたのです。ここで特記すべきことは、マヤ帝国の兵士達にとっては恐ろしい出来事も、ジャングルの中だけで生きてきた青年には、この出来事の意味が全くわからなかったということです。大雨が続く中、青年が部落に急ぎ帰る理由は、身重の妻と子を枯れ井戸の中に隠していたことです。案の定、枯れ井戸には雨水が入り込み、青年が部落にたどり着いたときには、妻と子が溺れていました。なんとか助け出したのですが、そこで妻が産気づいてしまい、雨の中で出産します。

新しい生命の誕生です。

青年は「新しい始まりを探す」と言い、新しい家族も増えた一家でジャングルの中に進んでいきました。結果的には希望を示唆するようなハッピーエンドを迎えて終わるという内容の映画です。しかし、この内容は歴史の事実に基づいて描かれた作品といわれています。ラストから見えた当時の力関係のこともありますが、実際に行われていたとされている残虐な行為です。

映画の中でもあった、部落の部族を下等とし、奴隷としたり生贄として無情に殺されていたということは実際にあったと映画の監督は言っているのではないのでしょうか。そのようなことを伝えたいための映画であり、タイトルではないのかと考えます。目を覆いたくなるようなシーンは多々ありますが、逃走劇や復讐劇の場面は非常に快活で、アクション映画として見ても大変に楽しめます。そこからのラストは意外性があり、見る人を驚かすことでしょう。